金沢坂物語
金沢の街は起伏に富んだ町です、
金沢市って結構坂が多いよ!
| 浅野川 | 子来坂 | 帰厚坂 | |||||||||
| 暗がり坂 | |||||||||||
| 金沢城址 | 兼六園 | 紺屋坂 | 八坂 | 木曽坂 | 馬 坂 | 天神坂 | 鶴間坂 | ||||
| 甚右衛門坂 | 石引 | 小立野 | 台地 | ||||||||
| 公園 | 廣 坂 | 大乗寺坂 | 嫁坂 | 新 坂 | 亀 坂 | 普光寺坂 | |||||
| いもり坂 | |||||||||||
| 犀 川 | 蛤 坂 | 石伐坂 | 長良坂 | 不老坂 |
| あ 石伐坂(いしきりざか)・清川町 今では、W坂という名の方が有名です。が旧四高生がその形状からつけたニックネームです。坂の上に石工の職人町があったのでこの名がつきました。室生犀星も愛した坂です。 う 卯辰山緑地横の坂道(徒歩専用) 卯辰山と東茶屋街の奥・宇多須神社(金沢城が出来た時、一番初めに出来た神社)横から卯辰山へ登る坂。夏の日は鬱蒼とした道・日差しを和らげてくれる木々!また、通り抜ける風がありがたい坂道。 |
か き 帰厚坂(きこうざか)常磐町 加賀藩14代藩主、前田慶寧候が、慶応三年(1869)に卯辰山を開拓したときに造った坂で「藩主の厚き徳に帰する」の意味からこの名が付きました。 亀坂(がめざか) 木曽坂(きそざか) こ 紺屋坂(こんやさか) 兼六園下交差点から兼六園・石川門へ行く途中の坂。現在は片側にはお土産店が並ぶ。名前の由来は、藩政の頃、加賀藩御用染物商だった館紺屋孫十郎が付近に住んでいたことから付いた名前だそうです。 子来坂(こらいざか)東山1丁目 慶応三年卯辰山開拓の時、作業に来た住民が子供が来るようににぎやかに登ったので、 この名が付きました。当時は出合茶屋や料理屋、集学所があり、子供達は学校へ通うため毎日たくさんこの坂を行き来したそうです。車一台がやっとの巾道、一方通行ではないが要注意 小尻谷坂(こじりたにざか) 「現、尻垂坂」 |
| う 馬坂(うまざか)扇町 昔、田井村の農民が広野だった小立野へ草刈に行くため馬をひいて登ったのでこの名が付きました。 この坂の上に牛坂という坂があり、これに対して馬坂と呼んだという説もあり、その形状から六曲り坂とも呼ばれています。 牛坂 |
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| さ し 新坂 ぜ 善光寺坂(ぜんこうじざか) |
た 鶴間坂(つるまさあか)小立野5丁目 鶴が舞うような美しい谷だからという言い伝えもあります。坂の上からの眺望が素晴らしいので詩歌を好む文人がよく訪れたと言われています。 だ W坂(石伐坂) アルファベットの「W」を横倒しにしたように見えるからです。(旧、四高の学生さんが名付けたそうです。) 藩政時代には犀川から登ると寺町台に出ます。 このあたりに石工の職人町があった。 鶴間坂(つるまざか) て 天神坂(てんじんざか)天神町 小立野から天神町へ下がる坂道。下に天神様と呼ばれている椿原神社があることから名が付きました。 長享年間、一向一揆の宗徒の頭、左近将監がこの地に砦を築き、尾山の本願寺を護衛していたと伝えられています。 |
| な に 二十人坂(にじゅうじんざか) |
は 蛤坂(はまぐりざか) 野町 金沢中心部から犀川を渡った左前方の坂道。 名前の由来は、享保18年 (1733年) 金沢で大火があり、このあたり一帯はすべて焼き尽くされ、ここの曲線地形が焼蛤のような状態だったので地元民はこの坂を蛤坂と呼ぶようになった 白山坂(しろやまざか) ひ 広坂(ひろさか) |
| ま みどり坂 | や よ 嫁坂 |
| ら | わ |
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工事中 近日・ご期待・・